この記事は、「goo blog」の2025年11月18日サービス終了に伴い、掲載していた内容を引っ越ししてきました。
※goo blog「タイトル:らいおんさんからの贈り物」「プロフィール:らいおんさん」

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こんにちは。らいおんさんです。
本日も、ありがとうございます。
息子が、保育園で友達とケンカになることがある。
その話を聴くと、
「友達に遊んでいるものを取られた。」とか
「何度も言ったのに、わかってくれなかった。」とか
大抵、そんな感じ。
その話を聴いた後、
「ケンカしたら、取られなくなる? わかってもらえる?」
「ケンカしたら、友達が何でそうなのかわかる?」
「自分は、本当はどうしたかったのかなぁ?」
こんなことをらいおんさんは、息子に言う。
そうすると息子は、
「遊びたいなら、一緒に遊びたかった。」
「ちょっとしたら、渡すから待っててほしかった。」
「思っていることを伝えたかった。わかってもらいたかった。」
こんな風に言う。
ケンカするより、
「どうしたかったのか?」という自分の気持ちが
お友達に伝わるといいね。
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さて、本日の贈り物について
らいおんさんが中学生の頃は、学校での出来事もあり、
自分を守るために、自分の心を、自分自身を保つために、
心を閉ざした時期がありました。
だから、
無表情、無感動、無関心 のように日々を過ごしていたが、
心を閉ざしたと思っていても、
イライラや怒りだけは、自分の中にあり、
学校でも、家でもイライラしていることが多かった。
イライラしているから、
ちょっとしたことが気になったり、
すぐに、不平、不満を口にしたり、
嫌なことばかりに目が行ったり、
モノや誰かに八つ当たりしたり、
イライラを抑えるどころか、増幅していった。
同じ頃からだろうか?
それより、もっと前からだったのだろうか?
その辺は、良くわからないけど、
人の顔色が、気になったり、
人がどんな表情で、自分を見ているのか、
自分に対して、人がどんなことを思い、考えているのか、
そういったことを気にするようになった。
特に、
嫌いとか、怒りとか、負の感情にはすごく敏感になった。
そして、
自分を守るために、自分の心を、自分自身を保つために、
負の感情に対して、負の感情で立ち向かっていた。
負の感情に敏感になり、負の感情で立ち向かっていたので、
逆に、楽しい、うれしい、幸せと言った感情には鈍感になってしまった。
人が自分に対して、楽しい、うれしい、幸せだと思ってくれることはない。
自分の中から楽しい、うれしい、幸せだという感情が湧きあがってこない。
心を閉ざしていたり、
無表情、無感動、無関心 のように日々を過ごしていたのも
原因かもしれないけど、そんな風に、なってしまった。
あの頃、あんなにもイライラして、怒っていた理由は、
今なら、何となくわかる。
とにかく、悲しかったんだと思う。
人が自分のことを避けている、嫌っている、怒っている。
人が自分のことを好きではない。
自分の居場所がない。
そう思って、悲しかったのだと思う。
でも、その悲しみを自分が認めてしまったら、
余計に悲しくなったりして、
自分を保ったり、自分をもっと嫌ったり、傷つけてしまうから、
悲しみを認めずに、悲しいと言えず、悲しいと表現できず、
逆に、
人が自分のことを避けている、嫌っている、怒っている。
人が自分のことを好きではない。
自分の居場所がない。
そういった悲しみから、自分を守り、自分の心を、自分自身を保つために、
イライラ、怒りを表していたのだろう。
実は、イライラ、怒りを表すたびに、
自分の奥底では、悲しくて仕方がなかったのだろう、泣いていたのだろう。
だから、
怒りとは、悲しみが姿を変えたもの だと思う。
だからこそ、
怒りの奥には、悲しみがある と思う。
イライラしたり、怒ったりしているときに、
自分の奥底では、泣いたり、悲しんだりしている自分がいるかもしれない。
嫌なこと、泣きたいこと、悲しいことがあったときに、
素直に、自分の気持ちを表現していますか?
嫌なこと、泣きたいこと、悲しいことに対して、
イライラや怒りを表したりしていませんか?
らいおんさんからの贈り物でHappyになりますように!!
あなたが、バージョンアップして明日もHappyになりますように。
あなたがあなたらしく、自分にイノベーションを起こしながら
ワクワク・楽しく・Happyに成功・成幸していく人生の記録、物語にしていきますように.
