振り返りが、ひとり反省会になってしまう

「今日、何ができただろう」
そう考えた瞬間に浮かぶのは、できなかったことばかり。

予定していた仕事が終わらなかった。
会議で余計なひと言を言った気がする。
今日もスマホを眺めて時間が過ぎた。

「明日はちゃんとやらなきゃ」
気づけば、手帳の余白がダメ出しの置き場になっている。

自分をととのえるために開いたはずなのに、書くほど重くなる。
手帳に向かうその時間は、自分を採点する時間なのでしょうか。

「内省が続かない」という声

株式会社ダイジョーブが2026年9月3日に公表した『内省を「わかる・続く・楽しい」へ。「内省百貨店」を始動』というプレスリリースを読みました。

「ミーニング・ノート」開発者の山田智恵さんが、これまでに5,000人以上へ内省を届けてきたこと。

その中で、「内省が大事」と言われる一方、「振り返ると反省ばかりになる」「向き合うほど苦しくなる」と感じて手が止まる人が多いこと。

そして、内省とは過去を評価することではなく、「日々の出来事から心が動いたことを拾い、自分にとっての意味や気づきを見つける営み」だということ。

ここまでが、プレスリリースに書かれていたことです。ここからは、これを読んで僕が考えたことです。

 

反省が見ている先、内省が見ている先

似ているようでいて、この二つは見ている先が違います。

反省が見ているのは、正解や基準です。
何点だったか。どこを間違えたか。足りない部分はどこか。
ミスを防ぐ点検としては要ります。仕事では毎日使っています。
ただ、その物差しを一日全体に当てると、毎日が採点になります。

内省が見ているのは、自分の心が動いた場所です。

今日、何に心が動いたか。
なぜ、あの一言が引っかかったか。
こちらには点数がつきません。

同じ「振り返る」でも、見ている先が違う。
手帳が重くなるのは、振り返ったからではなく、採点の物差しを一日全体に当てたからかもしれません。

書き出していた時期のこと

僕は、感情が分からなくなっていた時期に、感じたこと、思ったことを書き出していました。

2007年から2008年にかけては、自作の日次手帳に「今日の一言」を1年以上書き続けていました。

どちらも、できなかったことを数えるために書いていたのではありません。

そのときに何を感じていたのかを、あとから自分で見られるようにしていた、という感じです。

 

前の日のぶんが、目に入る

そして、息子が成長していく中で、一緒に、「ありがとう日記」を書いていました。

翌日に書こうと思って開くと、前の日の小さな「ありがとう」が目に入る。

すると、今日の小さな満足や感謝を探しはじめる。

探し始めながら、前日に書いた小さな満足や感謝を見ていると、何だか違って見えてくるときがある。

書いたものを、別の日に眺めてみる、並べて見ることは、別の行為なのだと気づきました。

もし、書いても変わらない感じがしているなら、書く量ではなく、眺めてみる、並べて見ることで、違った形に見えてくるかもしれません。

 

今日、心が動いた瞬間を一つ書く

長く書かなくてもいい。
朝から晩まで記録しなくても大丈夫です。

ペンを持ったら、できなかったことを数えて、反省してしまう前に、一行だけ。

「今日、心が少しでも動いたのは、どこだっただろう」

– 朝、コーヒーの湯気を見たとき
– すれ違った子どもの笑顔
– 窓の外の、空の色
– 誰かの一言

誰かの役に立つ話でなくて大丈夫です。
成果や実績みたいな話でなくても大丈夫です。
自分だけが感じ取ったことを、一行だけ書き留めてみてください。

それが、溜まっていって、ある時に、眺めてみて、並べて見たら、違った形に見えてくるかもしれません。

 

書いたあとに

書き出したからといって、明日が変わるとは限りません。
ただ、翌日に開いたとき、前の日の一行が目に入ってくる。

そこから、今日の一行を探しはじめる。

手帳は、できなかったことを並べる場所にもなるし、心が動いた場所を残しておく場所にもなります。
今夜は、どちらで使いますか。

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