効率と数字に追われて擦り減る日々
朝起きてから夜眠るまで、
「役に立つかどうか」だけで
時間を使ってしまっていませんか。
仕事のタスクをいかに早く片付けるか。
少しでも市場価値を高められるように、
スキマ時間を見つけてはビジネス書を開く。
資格の勉強やスキルの習得に励み、
誰かと会話をするときでさえ、
「この出会いは仕事に活かせるか」と、
無意識に損得の計算が頭をよぎってしまう。
効率的に動けば動くほど、
手元のスケジュール帳は黒い文字で埋まっていきます。
誰かから「いつも忙しそうだね」「充実しているね」と
声をかけられる機会も増えていく。
周りから見れば、順調にキャリアを積み重ね、
前へ進んでいるように見えるかもしれません。
けれど、夜遅くに帰宅して部屋の明かりをつけた瞬間、
胸の奥がからからに渇いているような、
説明のつかない虚しさを覚えることがあります。
「自分は一体、何のために走っているんだろう」
成果や数字を出すための時間に追われるうちに、
自分が本当に息をつける場所を、
見失ってしまっているのかもしれません。
何かの役に立っていなければ価値がないような焦りに、
追われ続けてはいないでしょうか。
役に立つことばかりで埋め尽くされた毎日は、
知らず知らずのうちに、
僕たちの心の潤いを奪っていくものなのかもしれません。

三浦半島の田んぼを蘇らせる人の話
ウェブマガジン「greenz.jp」が2026年9月15日に公表した、
青葉薫さんによるインタビュー記事を読みました。
『40年眠っていた田んぼの復活は、三浦半島の未来に生きものの種を残す「ノアの方舟」。
天白牧夫さんが次世代に伝えたい、ライフワークとして里山に関わること』
https://greenz.jp/2026/09/15/tenpaku-makio/
記事の中で紹介されていたのは、神奈川県横須賀市で、
40年以上放置されていた谷戸田(やとだ)を復活させ、
里山の再生に取り組む天白牧夫さんのお話でした。
天白さんは生まれ育った三浦半島の自然を愛し、
大学で景観生態学を研究して博士号を取得したのち、
2012年にNPO法人を立ち上げました。
さらに2023年には横須賀市議会議員に当選し、
議員報酬の多くを里山の保全や耕作放棄地の購入に充て、
地元の田んぼを買い取って復田を進めています。
天白さんたちが田んぼを復活させる最大の目的は、
お米をたくさん収穫することでも、
環境教育をすることでもありません。
子どもの頃、放課後に川や野山で遊んでいた生きものたちが、
開発によって故郷から次々と消えていったことへの、
大人になっても消えない痛みと願いが出発点でした。
40年手つかずだった藪を刈り払い、代掻きをし、水路を整え、
田んぼに水を張る。
すると、眠っていた田んぼに、
わずか1ヶ月でアマガエルやおたまじゃくしが戻り、
燕が泥を採りに来るようになったそうです。
天白さんは、里山の田んぼを、
失われゆく多様な生命を未来へ残す「ノアの方舟」と呼び、
市民にお客さんとしてではなく、
「ライフワーク」として関わってほしいと語られていました。
ここまでが、greenz.jpの記事に書かれていたことです。ここからは、これを読んで僕が考えたことです。
山小屋で過ごしていた頃のこと

天白さんの「ライフワークとして関わる」という言葉に触れたとき、
僕は自分の20代の頃のことを思い出していました。
僕は20代の頃、年に1〜2回、
3〜7日間ひとりで山小屋にこもり、
「自然と対話」「自分と対話」していました。
当時の僕は、社会に出て働く中で、
自分が何者なのか、どこへ向かいたいのかが分からなくなり、
頭の中が常に焦りでいっぱいになっていました。
誰かの期待に応えなければいけない。
早く一人前になって認められなければいけない。
そうやって外側の評価ばかりを気にしていると、
自分が本当は何を感じ、何を求めているのか、
心の声が聞こえなくなっていきます。
携帯電話の電波も届かない静かな山小屋に入り、
一人で過ごす数日間。
そこには、仕事の締め切りも、ノルマも、
誰かから下される評価もありませんでした。
ただ風の音を聞き、木々のざわめきに耳を澄ます。
時計の針を気にすることなく、薪を割り、火を起こし、
お湯を沸かして質素な食事をとる。
外側の物差しをすべて手放して、
ただ自分の呼吸のリズムと身体の感覚を取り戻していく。
誰かの目を気にすることなく、
ただ自然のリズムの中に身を浸す時間。
数日間を山の中で過ごし、山を下りるとき、
僕の中にあった余計な力みや焦りが、
きれいに抜け落ちていたことを今でも覚えています。
この数日間を、僕は20代のあいだ
年に1〜2回、続けていました。
仕事の役に立つからではなく、
ただ続けたくて続けていた時間でした。
損得を離れた居場所を持つこと
現代社会で暮らしていると、
僕たちは知らず知らずのうちに、
「生産性」や「効率」という物差しに縛られてしまいます。
何かの役に立たなければいけない。
お金や実績につながらない時間は無駄だ。
そんなふうに自分を追い詰めてしまう。
けれど、人間が生きていく上で本当に必要なのは、
損得を完全に離れて関われる、
「自分だけの土壌」なのかもしれません。
天白さんが里山の田んぼを耕すように。
誰かに見せるためでも、褒められるためでもなく、
「ただ、そこに関わりたいから関わる」という時間。
仕事が自分の「生きていくための手段」だとしたら、
ライフワークは自分の「命の根っこ」を湿らせる水です。
どんな木であっても、根っこが乾いてしまえば、
いくら見事な枝葉を伸ばそうとしても、
強い風が吹いたときに倒れてしまいます。
仕事の看板や役割を下ろした場所に、
自分が無心になって手を動かせる関わりを、
日常の中にひとつ持っておく。
利益や成果を求めない時間があるからこそ、
日々の慌ただしさの中でも、
自分自身を見失わずに立ち戻ることができるのだと思います。
それは逃げ場ではなく、
自分が自分であり続けるための、
大切な錨(いかり)のようなものなのかもしれません。
自分の時間を耕す3つの手順
もし、仕事や役割に追われて心が乾いているなら、
次の3つの手順で、自分の時間を耕してみてください。
①「関わり続けたいもの」を見つける
まず、成果や評価とは関係なく、
何度も戻ってしまう対象を思い出してみます。
– ベランダの鉢植えに、毎日水をやること
– 近所の川沿いを、いつもと同じ道で歩くこと
– ノートに、思いついた言葉を書き留めること
– 誰に見せるでもなく、絵や写真を撮ること
「これが何の役に立つのか」ではなく、
「なぜか、また触れたくなるか」で選びます。
続けたいと思えるかどうかが、
唯一の物差しです。
②その時間を、予定に先に書く
見つけた対象に触れる時間を、
スケジュール帳に先に書き込みます。
長い時間は要りません。
週に1回、30分や1時間で十分です。
その枠を、仕事の予定より先に確保します。
田んぼに水を引くように、
決めた時間だけは動かさずに守る。
そうすることで、
予定に追われる1日の中にも、
その時間だけは残るようになります。
③結果を急がず「関わり続けること」を味わう
①で見つけ、②で予定に書いたその時間を、
実際に過ごすときのことです。
「いつまでに上達するか」「何かの形に残るか」と、
結果を急ぐのを手放してみます。
自然の中で植物が芽を出す時期を人間が決められないように、
自分の内面が育つペースも、外側からコントロールすることはできません。
上手いか下手か、進んでいるかどうかを測るのをやめて、
「今日もその土に触れた」という事実だけを受け取る。
成果を急ぐ気持ちを手放し、
ただその時間に身を委ねてみる。
すぐに成果を求めず、ただ関わり続けることそのものを楽しむ姿勢が、
やがてあなただけの揺るぎない根っこを育ててくれます。
根っこに水を注いだあとのこと
ライフワークを持つということは、
今の仕事を辞めることでも、
特別な社会活動を立ち上げることでもありません。
世間の物差しや数字から離れて、
自分の生命の息遣いを感じられる場所を、
日々の暮らしの中に小さく耕しておくことです。
40年間手つかずだった阿部倉の田んぼであっても、
水を引いて手を入れると、
土の中で眠っていた生きものたちが帰ってきました。
どんなに忙しさに追われて乾いてしまった心であっても、
損得のない水を注いであげれば、
本来の瑞々しい感覚が、少しずつ息を吹き返してきたりします。
「自分は一体、何のために走っているんだろう」
その問いに、成果や評価で答えようとすると、
また同じ場所で立ち止まってしまいます。
けれど、評価とは関係なく関わり続けたいものが、
日常の中にひとつでもあれば、
その問いに、静かに答えてくれる気がします。
今日、あなたが評価と関係なく、
水を注ぎ続けたいものは何でしょうか。
