賛辞を拒否することは、賛辞を述べてくれた人を拒否するのと同じ

この記事は、「goo blog」の2025年11月18日サービス終了に伴い、掲載していた内容を引っ越ししてきました。
※goo blog「タイトル:らいおんさんからの贈り物」「プロフィール:らいおんさん」

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こんにちは。らいおんさんです。

本日も、ありがとうございます。

息子とらいおんさんは、親子ですが、
親子という関係であっても、
「ありがとう」「どういたしまして」と言うようにしています。

親子だと、行うのが当たり前、行ってくれるのが当たり前
そんな風に思っていると
人への感謝を忘れてしまうし、
人からの感謝を素直に受け止められないのでは
と思うからです。

らいおんさん自身も、息子に「ありがとう」と言うことで、
人に感謝する気持ちを忘れずに、「ありがとう」と素直に言える。
人からの「ありがとう」を素直に受け止められるようになった。

だから、
親子でも、「ありがとう」「どういたしまして」と言うようにしています。

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さて、本日の贈り物について

君のおかげで成功したよ。
素晴らしいね。
よくやったね。
すごいね。
と褒められたりしたら、何て思いますか? 何て言葉を返しますか?

誰かの協力をしたり、手助けをしたりしたときに、
自分が協力したから、手助けしたら完成、成功したんだ と思いますか?
自分のおかげというより、みんなが協力したりしたから と思いますか?

ありがとう。
助かりました。
と御礼を言われたら、何て思いますか? 何て言葉を返しますか?

日本には、「謙遜」という言葉、考え方があり、
どうしても、能力、価値などを自分では、実際よりも低く評価してしまったり、
でしゃばらず、控えめに振舞ったりしてしまう。

「謙遜は、美徳である。」というような
能力・評価を自分では低く評価し、控えめに振舞うことが
正しい行い。美しい道徳である。
という考え方、思想、風習というものがある。

だから、
褒められたり、御礼を言われたりといった賛辞を頂戴しても、
謙遜して、
 褒められるようなことなどしていない。
 御礼を言われるようなことなどしていない。
 まだまだ、至らないところばかりです。
 褒められる、御礼を言われるほど立派ではありません。
なんて思ったり、言葉を返してしまったりする。

そうすると、
賛辞を素直にそのまま、受け止めたりしていないことになる。

賛辞を述べてくれた人は、褒めたり、御礼を言いたいと思い、伝えた。
伝えられた方は、褒めたり、御礼を受け止められず、違った形で受け止めた。
という感じになってしまう。

これって、極端な言い方をすると、
賛辞の言葉を拒否したのだから、
賛辞を述べてくれた人自身の思いだとかを、拒否したのと同じかも。

『 謙遜は、本当に美徳なのだろうか? 』と
2010-02-09の贈り物でお届けしていますが、

「謙遜をしてはいけない。」ということではなく、
賛辞を頂戴したら、賛辞を述べてくれた人の思いとして、
きちんと賛辞を受け止めた方がいいと思う。

賛辞を受け止めるということが、
賛辞を述べてくれた人を受け止めた、受け入れたということになる。

賛辞を頂戴したときは、うれしかったり、喜んだりしますよね。

だからこそ、
賛辞を頂戴したときは、
その賛辞を受け止め、受け入れて
賛辞を頂戴してうれしい気持ち、喜びの気持ちを伝え、
その上で、でしゃばりすぎない、横柄にならないように、
ちょっぴり、控えめな感じの言葉を返す。

そうすることで、
賛辞を述べてくれた人に、
ちゃんと賛辞の言葉を受け止めました と伝わり、
まだまだ未熟者で、目指すべき頂があり、修練を積み重ねていくことが伝わる。

ですから、
賛辞を拒否することは、賛辞を述べてくれた人を拒否するのと同じ。
賛辞を受け止め、受け入れて
賛辞を頂戴してうれしい気持ち、喜びの気持ちを伝えていきましょう。

それでは、バージョンアップして
今日も、明日もHappyになりますように。{/sayonara/}

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ちなみに、明日は、
当たり前だと思うと感謝しなくなる
をお届けする予定です。

らいおんさんからの贈り物でHappyになりますように!!
あなたが、バージョンアップして明日もHappyになりますように。
あなたがあなたらしく、自分にイノベーションを起こしながら
ワクワク・楽しく・Happyに成功・成幸していく人生の記録、物語にしていきますように.

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