今日の「これ何?」を、自分らしさの入口に

「こんな話、誰が興味を持つんだろう?」。

何かを書こうとしたとき、写真を載せようとしたとき、自分の体験を話そうとしたとき。そんなふうに、手が止まることが、あったりする。

特別な出来事でも、人の役に立つ情報でもない。自分や家族にしか分からないような、些細な話。
だから、わざわざ表に出すほどのものではないと思って、閉じてしまう。

けれど、個人的すぎると思う、その些細な話ほど、あなたらしい表現の入口になるかもしれません。

以前、「自分を探し続けるか? 表現し続けるか?」という記事を書きました。
自分の内側にあるものを外へ出すから、自分でも見えてくるという話です。今回は、その表現を始める前に出てくる「個人的すぎるから、書かないでおこう」という手止まりを、少し視点を変えて見てみます。

 

あなたの知らない、手のひらサイズのZINE

KOREA WAVEが2026年8月21日に配信された、[「自分らしさ」を手のひらに…韓国の若者で自主制作誌「ZINE」人気、デジタル疲れと個性の模索]という記事を読みました。

記事では、韓国の20〜30代を中心に、個人の趣味や考えを自由な形でまとめた自主制作誌「ZINE」が注目されていると紹介されています。

A4用紙を一枚折ったものから、本格的に印刷・製本した冊子まで。

[手描きのZINEと、はさみやイラストなどの制作道具]

Art Experience Center Zine Making
Art Experience Center Zine Making (Wikimedia Commons)

※参考画像:NPS Photo「Art Experience Center Zine Making」(2023年7月7日撮影、[Wikimedia Commons](https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Art_Experience_Center_Zine_Making_(6fd6e30c-7589-4c6c-85b6-fff5a2aa9dfd).jpg)経由)。
米国国立公園局職員が公務で撮影した写真として、米国ではパブリックドメイン。画像の加工なし。*

 

大きさも、文字数も、レイアウトも決まっていない。

文章だけでもいい。

写真でも、イラストでも、コラージュでもいい。

自分が残したいものを、自分で選んで、一つの形にしていく。

決まった型がないから、上手に作れるようになってから始める必要もありません。

たくさん書けなくても、一枚の紙に収まるものを選べばいい。

写真が一枚しかなくても、その一枚を残した理由を添えればいい。

完成度を競う前に、何を入れて、何を入れないかを自分で決められる。

その選び方に、作った人の感じ方が表れていくんだと思います。

表現するものがないのではなく、表現と呼べる大きさになるまで、待ちすぎていたのかもしれません。

記事の中で、26歳のチャンヒさんは、母親との思い出をもとに「キンパZine」を作っています。

作る前には、自分の話が個人的すぎて、誰も興味を持たないのではないかという不安があったそうです。

けれど、SNSで紹介すると、大きな反響があったと記事は伝えています。

また、29歳のヌンソルさんは、一人でフランスへ旅行する妹のために、手引書を作りました。

妹のために、自分の経験や空気感を込めたものだと、記事では紹介されていました。

二つを並べて読むと、大きなテーマを決めるより先に、身近な人との間にあるものから始めているように、私は感じました。

母親との思い出。

妹に渡したいこと。

とても近くて、とても個人的なところから始まっています。

私は、そこが気になりました。

 

個人的すぎる話には理由がある

「家族について書く」

「自分らしさについて書く」

「旅について書く」

そう言われると、急に壮大な気がして、何を書けばいいのか、分からなくなる。

ちゃんとまとめなければ。

意味のあることを書かなければ。

誰かの役に立つ話にしなければ。

そんなふうに、書く前から形を整えたくなってしまいます。

でも、

母親との思い出を綴った、キンパZineのこと。

一人で旅に出る妹へ渡したいこと。

今日、なぜか心に残った一瞬。

そんな日常の様な些細なことにすると、少し書けそうな気がしませんか?

テーマに対して世の中へ向けてというイメージから自分を探すのではなく、

自分の中に残っている小さな場面から、何を大切にしているのかを見つけていく。

 

「これ何?」にも意味がある

私は、一日の小さな満足をノートに書き留めています。

翌日に書こうと思って、前の日に書いた小さな満足を見る。

すると、今日の小さな満足を探しちゃうんです。

でも、ノートに書くのは、満足だけでなくてもいい。

「これ何?」と、なぜか気になったこと。

今日、食べたもの。

頭や心に、ふっと浮かんだこと。

うれしいとも、悲しいとも、まだ言えないけれど、その日に心がほんの少し動いたこと。

すごい出来事でなくても大丈夫です。

誰かに見せるために、立派にまとめたわけでもありません。

ただ、自分の一日の中から、

「これは残しておきたいな」

と思ったものを一つ選ぶ。

その一つがあるだけで、次の日の見え方が少し変わっていく。

昨日、何を残したのか。

今日、何に目が留まったのか。

何を食べて、何を思い出したのか。

なぜ、それが気になったのか。

答えが分からなければ、

「これ何?」

という問いのまま残してもいいんです。

そこに、自分の感じ方が出ているんじゃないかって思うんです。

表現というと、自分の考えを強く打ち出すことのように感じるかもしれません。

上手な文章を書くこと。

人とは違うことを言うこと。

たくさんの人に届けること。

でも、その前にあるのは、

その日に心がほんの少し動いたものを、見過ごさずに選ぶこと。

その小さな選択も、表現なんじゃないかな。

 

一行と題名だけでも、大丈夫?

この記事を読んだからといって、ZINEを作らなければいけないわけではありません。

誰かに見せなくてもいい。

SNSに載せなくてもいい。

一枚の紙でも。

ノートの片隅でも。

スマートフォンのメモでも。

今日の写真を一枚だけ選ぶことでもいい。

大事なのは、立派な作品にすることではなく、

自分が残したいと思ったものを、見過ごさないこと。

たとえば、

今日、なぜか覚えている場面は何でしょう?

そのとき、何を感じていたでしょう?

どうして、その場面だけが残っているのでしょう?

全部を説明しなくても大丈夫です。

まずは、一行だけ。

その場面に、自分なりの題名をつけてみる。

一行を書くと、頭の中に浮かんだものが、紙や画面に残ります。

翌日に読み返したとき、前の日の自分が何に目を止めたのかを、もう一度見られます。

 

忘れていませんか? いま、残したい小さな場面

母親との思い出を「家族について」と置き換えたら、キンパZineの形は見えにくくなります。

妹への手引書を「旅について」と置き換えても、その妹へ渡したかったものは薄くなります。

「こんなこと、私にしか分からないかも」

と思うところまで近づくと、その人にしか選べない場面が出てくる。

母との思い出をキンパに込める。

妹への気持ちを旅の手引書にする。

満足したことも、「これ何?」と気になったことも、食べたものも、一行だけノートに残す。

どれも、始まりはとても個人的です。

だからこそ、そこには、その人が何を見て、何を感じ、何を大切にしているのかが表れる。

個人的すぎると思う小さな話ほど、あなたらしい表現の入口になる。

いま、誰にも見せるほどではないと思っていること。

でも、なぜか忘れたくないこと。

それを一つだけ、形にしてみませんか?

誰かに見せるかどうかは、そのあとでいい。

まずは、自分が見つけてあげる。

あなたが、今日「これ何?」と思った瞬間は何ですか?

 

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2018年2月9日記事 自分を探し続けるか? 表現し続けるか?

2010年3月5日記事 手紙は、自分のことを書き、自分の思いを伝える

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